2019年2月10日、私たちは東京赤坂の看護roo!本社内イベントスペースで、第2回「SNS医療のカタチ」を開催した。
開演30分ほど前のこと。
大塚が私と堀向にそっと耳打ちした。
「ヤンデル先生が来ているらしい」
「ヤンデル」という奇妙な通り名を持つその男は、札幌厚生病院の病理医、市原真である。
市原は、私たちより遥か前、2011年から病理医ヤンデルというアカウント名でTwitterを開始し、フォロワー数は約10万人(当時)。
医学書、一般書問わず著作は多く、紙・ウェブと媒体を問わず露出も多く、我々の中では著名人と言ってよかった。
市原は、別件で講演のため遠路はるばる東京にやってきており、陣中見舞いとして私たちのもとに立ち寄った、とのことだった。
軽く挨拶をして集合写真を撮った後、彼は30分ほど会に参加し、いつの間にか会場から消えていた。
私(や大塚・堀向)にとっては、この時の彼との出会いは、それ以後の活動の幅を広げる上で大きなターニングポイントだった。
市原自身は、たられば氏との対談で「いつ頃から(私たち3人と)面識があるんですか?」との質問に、
たしか、#SNS医療のカタチ の「オリジナル3」が札幌に来て講演をすることになったときに、札幌に住んでいるぼくに声をかけてくれたのが最初です。その時点で、3人とは面識がなかったですね。
と答えているが、私たちの中では2019年8月の札幌より半年以上前の、この東京での出会いの方が印象深い。
あの時彼と出会わなければ、私たちが3回目の開催地にわざわざ縁遠い北の大地を選ぶはずがなかったのだから。
だが、実は私自身、市原とはその時が初対面ではなかった。
2019年2月9日、Antaa主催のトークイベントで、市原の対談相手に、なぜか(今思えば不思議でもあるが)私が選ばれたからである。
このフライヤーを見れば分かるが、当時私のフォロワー数は1.7万人と市原より遥かに少なく、その影響力において彼我の差はとてつもなく大きかった。
SNSでの発信を得意とするAntaaが、SNSをテーマに市原と語れる相手に、あろうことか私を選んだのである。
私はこの時カメラの前で初めて市原と話し、最後にAntaa代表中山俊氏から市原との対談に関する感想を求められた時、
「アドリブで話が上手な人は、その場で話すことを瞬発的に考えて話しているわけではない。『すでに考えたことのある内容』から、話すべきことを『選んで』いるだけです。だから、アドリブなのに話が深いし面白い」
と答えた。
むろん、市原のことである。
そのくらい、彼の「アウトプット」は、膨大な「インプット」に裏付けられているということが、たった1、2時間話しただけでよく分かった。
この時から、いつか市原と一緒に企画をやりたい、という思いが私の中にあった。
SNS界での影響力を借りたい、という下心も当然あった。
本連載第1話でも書いたように、私たち3人は、親切な聴衆の方から教えてもらうまで、
「ハッシュタグ」
という言葉を知らなかったほどSNSに関して素人だったのだ。
話を2019年2月の赤坂に戻そう。
ともかく、参加者が120人を超えた第2回「SNS医療のカタチ」も盛況に終わった。
そして、第3回は夏にやろう、と決めた時、誰からともなく市原の名があがった。
彼がいる札幌で開催し、市原を特別ゲストとし、司会をお願いするのはどうか。
そして2019年8月10日、私たち4人は半年ぶりに一堂に会することとなる。
余談だが、市原が「ほぼ日」の企画で写真家、幡野広志氏と対談した際、私のことを以下のように語っている。
この間、彼と並んで写真に映る機会があったときに、
たまたま彼の背中に触れたら、何かが小指にあたったんです。
あいつ、忙しいから、腰痛めてたんでしょうね、
スーツの中にコルセットしてたんです。
でも、それをおくびにも見せない。
むかつくのに好きになっちゃう。
‥‥ごめんなさい、
これは完全に関係ない話。
ここに出てくる「彼と並んで写真に映る機会」とは、実は先ほどお見せした4人の集合写真のことである。
連載(4)「SNS医療のカタチ」はどうやって生まれたのか
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